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宮城県松島町高城字明神三丁目

震災前取材」

 

紫神社は、平安時代の淳和天皇の時代(824~833)に既に松島に鎮座していた。古くは、松島蛇ヶ崎梨木平に在り、松島明神、あるいは村崎明神と称していた。その後、現在の地に移った。祭神は、塩竃神社の祭神の一族であるといい、製塩の術に詳しい神で、塩場の守護として崇められたという。

「義経記」によると、承安2年(1172)、源義経一行が東下りの折にこの神社に寄り、武運を祈ったという。その時、境内に数百株の藤の花が咲き乱れて、紫の雲がたなびくようであったという。義経はそれを観て、「村崎」を源氏の旗印の色の「紫」に書き換え奉らんと祈願し、以降、紫神社と呼ぶようになったと伝える。

石段は宝暦3年(1753)とあり、江戸時代中期以降に修築されたもので、偏額は文化10年(1813)、正二位大納言建房の直筆で、江戸の豪商の奈良屋吉兵衛の奉納によるものである。大正14年(1925)、火災により本殿、拝殿、宝物等ことごとく消失し、現在の拝殿は、昭和4年(1929)再建されたもの。