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宮城県松島町松島

震災前取材

雄島は、昔から人々の遺骨を納め、後世を訪ねる霊場だった。島の南端には骨塔があり、いたるところに板碑や磨崖仏がある。

「雄島」はまた、諸国から松島瑞巌寺に集まった僧侶や巡礼が修行したところで、その昔、見佛上人が法華経六万部を読誦した徳を讃えられ、鳥羽上皇から本尊や法器、松の苗木千本が下賜された。「千松島」と呼ばれ、そして、いつしか「千松島」が「松島」全体を指し、島々の中で最も由緒ある島であることから「御島」が「雄島」と書かれるようになったという。

また「雄島」は「松島」とともに代表的な歌枕でもある。

松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくはぬれしか   後拾遺集 源重之

心ある 雄島のあまの たもと哉 月宿れとは ぬれぬ物から     宮内卿

松がねの をじまがいその さ夜枕 いたくなぬれそあまの袖かは   式子内親王

などがある。

元禄2年(1689)、松尾芭蕉もこの島を訪れており、弟子の曽良による「松島や鶴に身をかれほととぎす」という歌碑がある。