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宮城県松島町松島字町内

震災前取材

五大堂は、大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが最初と伝えられる。

後に慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、大聖不動明王を中心に、左右降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれている。

伝説では、慈覚大師が五大明王を安置したところ、田村麻呂が祀った毘沙門天は光を発して沖合の小島に飛び去り、その島は毘沙門島といわれるようになったという。

現在の建物は、伊達政宗が再建したもので桃山式建築手法の粋をつくして完工したもの。五大堂の四方には十二支が彫られており、太陽の方向と同期していてその時点の時刻を表すという。

 

・透橋(すかしばし)

透橋は橋桁の間が空いており、上から下の波が透かして見えるので透橋という。昔は松の丸太だけの橋でとても不便であったために、板を使用して作られたといわれている。