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宮城県松島町松島字町内…天隣院内

震災前取材

 

松島瑞厳寺の西側に天隣院がある。この寺は、伊達政宗の長女の五郎八姫の菩提寺である。

五郎八姫(いろはひめ)は、文禄3年(1594)、正室の愛姫との間に、京都の聚楽第屋敷にて生まれた。政宗は正室の愛姫との間に生まれる初めての子供だったことから男児が生まれることを期待していたが、生まれた子は女だったため、男子名の五郎八と命名したといわれている。

五郎八姫は、関ヶ原の戦いの前年、有力大名との関係を深めようとする家康の策の一つとして、家康の七子、松平忠輝と婚約する。豊臣秀吉の遺言に反するこのことが、関ヶ原の戦いの原因の一つとなる。

1606年に松平忠輝と結婚。忠輝とは仲睦まじかったが子供は生まれなかったと言われている(異説あり)。

しかし、忠輝の家老で佐渡の金山奉行でもあった大久保長安が、私腹を肥やしたかどで一族が処刑され、また忠輝自身も、大阪の陣の折の軍律違反などで改易され伊勢に配流された。当時は舅である政宗の関与が噂され、政宗の徳川に対する謀反の噂まで流れたという。

忠輝が改易となり、五郎八姫は20代で離縁、以後は仙台で暮らした。このとき、仙台城本丸西館に住んだことから、西館殿とも呼ばれた。五郎八姫はキリシタンだったとも言われているが、その真偽は定かではない。

1661年5月没す。享年68。