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宮城県大郷町大松沢論山

震災前取材

城跡は、高さが80mの丘陵上に位置し、頂上の本郭部は、東西100m、南北40mで、南西部の 平場が二の郭、三の郭を形成している。

戦国時代に、宮沢吉実が築いたのがはじまりと伝える。宮沢氏は伊達氏に臣従し、近辺の葛西氏と大崎氏に対する北の守りとして大窪城に 拠った。

伊達政宗の時代には宮沢元実が当主で、葛西大崎一揆の鎮圧、相馬氏との戦いなどでは常に先鋒を務め、朝鮮出兵にも従軍して功を挙げた 。このため、政宗から大松沢氏を名乗るよう命ぜられ、改めて伊達一族に列せられた。

戊辰戦争では明治元年(1868)、十五代大松沢衡実が 会津の戦に藩士300人を率いて従軍し、次いで白河口軍事総督を命ぜられ、諸所の戦いに功労があった。会津の乱が終わった後は、剃髪し菩提寺である眞観寺の住職となり、戊辰の役で亡くなった人々の冥福を祈り、僧侶として没した。