宮城県大和町

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昔、加美郡に朝比奈三郎という力持ちの大男が住んでいた。あるとき、弓の稽古をするため、的にする山を作ることにした。

そこで大きなタンガラ(土を運ぶための背負いかご)をつくり、黒川のほうまでやってきた。そして、大谷の東の原っぱ(現在の鹿島台町あたり)からタンガラいっぱいに土をいれ、七回ほど土を運んで的山をつくた。

途中、一回づつ休んだときにタンガラから土がこぼれ、その土が固まって七つの山ができた。それが今の「七ツ森」で、この時土を掘ったところが「品井沼」、三郎が歩いた足跡が「吉田川」になったと言う。また、その時の的山が矢喰山(現在の薬莱山)で、一番あとにタンガラの残りでできた山がたんがら森といわれるようになったという。

この話に出てくる朝比奈三郎は、鎌倉幕府の有力御家人の和田義盛の三男の朝比奈義秀のことと思われる。三郎の母は、木曽義仲の妻であり、甲冑を身につけ女武者として義仲に従った巴御前という説もある。

和田義盛は、北条義時と対立したが和田合戦で破れ討ち死にし、一族は各地に逃れた。朝比奈三郎は討ち死にしたとも逃れたとも言われ、その消息は不明である。

三郎は、剛勇無双の誉れが高く、様々な伝承が残っている。

  • 源頼家が相模小坪の浜で遊んだときには水泳の妙技を見せ、鮫三匹を捕らえて人々を驚かせた。
  • 鎌倉の鎌倉七口の一つの朝比奈切通しは、三郎義秀が太刀で一夜にして切り開いた。

また、狂言や歌舞伎などにも取り上げられ、その剛勇ぶりが誇張された形で表現されている。

  • 朝比奈三郎を小鬼どもが嘲笑した。これに腹を立てた三郎は鬼を追いかけて大河を渡ると、そこに地獄の城門がそびえていた。三郎はこの城門を押し破り地獄を征服し、地獄にあるすべての酒と山海の珍味を出させ、鬼どもに舞を舞わせた。最後には閻魔大王を力でねじ伏せ、天国までの道案内をさせた。

七ツ森伝説も、恐らくは後世の者が和田合戦で敗れた朝比奈三郎を惜しみ、七ツ森の山容を伝えるために、 手長足長伝説に三郎の剛勇を重ね合わせて物語にしたものだろう。

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