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宮城県大和町宮床字戸崎

震災前取材

 

別名:古館、宇和多手城

築城時期や築城者の詳細は不明。主郭は、東西約50m、南北約52m、南郭と二の郭を配した山城。現在は堀切が一部残るが、殆どは墓地となっている。

黒川氏一族の鴇田氏が天正年中まで居した。天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥羽州仕置により大崎氏の所領は没収され、大崎合戦で伊達勢を翻弄した黒川氏も所領を没収された。このとき鴇田信濃国近は、伊達政宗に太刀、馬を献じ、後に伊達家に仕えた。

承応3年(1654)、館跡に鴇田氏とその旧臣のための菩提寺松巌寺が建てられた。

国近の子の鴇田駿河周如は、仙台藩二代藩主の信頼が篤く、2千石を知行し、藩財政を検地によって立て直した。