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宮城県大和町宮床字久保田
震災前取材
享保7年(1722)、仙台藩五代藩主伊達吉村の生母の、宮床伊達初代宗房夫人の貞樹院松子が彫らせたもの。
鎮座して以来、宮床伊達家が宵祭りから大祭まで施行していた。現在も子育て地蔵として近隣の信仰を集めている。
この地蔵が完成しこの地に運ばれたとき、中野の土橋を地蔵が渡り終えたとたん、土橋がどっと水中に崩れ落ちたと伝えられる。
宮城県の歴史散策街歩き
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震災前取材
享保7年(1722)、仙台藩五代藩主伊達吉村の生母の、宮床伊達初代宗房夫人の貞樹院松子が彫らせたもの。
鎮座して以来、宮床伊達家が宵祭りから大祭まで施行していた。現在も子育て地蔵として近隣の信仰を集めている。
この地蔵が完成しこの地に運ばれたとき、中野の土橋を地蔵が渡り終えたとたん、土橋がどっと水中に崩れ落ちたと伝えられる。