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宮城県東松島市宮戸字大竹和田

震災前取材

 

医王寺に伝わる話によると、里浜の漁師の網にかかり引き上げられた薬師如来をこの地の洞窟に祀ったとされる。

慶長年間、伊達政宗がこの地で鹿狩りをしていた際、忽然と白髪の老僧が現れ鷹狩の獲物を食することを止めた。しかし政宗はそれを聞かず、この地の洞窟のところで獲物を調理させたが、肉はいつまでたっても煮えず、ついにその肉を海中に投げ捨て帰った。

その後、再び狩を思い立ち、宮戸での鹿狩りの際の狩衣を出させたところ、狩衣は灰となっていた。政宗は、宮戸での鷹狩のことを思いだし、薬師如来の霊験だったのだといたく驚き、自分の眼病の平癒を祈願した。

すると眼病は七日にして平癒し、以後、政宗は大いに信仰を篤くし、洞窟の上の山上に堂宇を建立し、医王寺の住職を別当とし、寺領を与えた。

その後、田村右京太夫宗永の母と、和田半之助房永の息女が、梵鐘と薬師如来、日光、月光、十二神の仏像を寄進した。