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宮城県栗原市志波姫町伊豆野大西前

震災前取材

藩政時代の万治3年(1660)、岩沼より移封された古内主膳重広、重直父子の居館。忠宗の命により、栗原郡の伊豆野原一帯の開拓と伊豆野堰の難工事を完成し、その功績で1万4千9百石となった。天和2年頃(1682頃)再び岩沼に移りこの地を去った。

古内重広は、伊達政宗と対立し出奔した国分盛重の末子。国分氏が政宗に攻められたとき、重広は落ち延びて、国分家臣の古内氏に匿われ、そのまま養子となり古内氏を継いだ。

慶長13年(1608)、重広は伊達政宗に召し出され、その才を認められ馬廻役となり、その後、政宗の嫡男忠宗の守役となった。重広は忠宗に信頼され、寛永13年(1636)、忠宗が伊達家の当主となると奉行を命ぜられ、その後、筆頭家老の重職を担うまでになった。万治元年(1658)、伊達忠宗が没した折に重広は殉死した。

館は、迫川南岸の比高約10m程の丘陵上に築かれ、東西100m、南北120mの規模を持つ。丘陵頂部の約50m四方の平場が主郭と思われ、現在は駒形根神社が祀られている。主郭を中心に、現在は畑地として数段の土段が残っている。現在の地形から見て、周囲は水堀と湿地で囲まれていたと思われる。