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宮城県東松島市宮戸字里

震災前取材

奥松島縄文村は、資料館を中心に、一帯が公園として整備されている。資料館では、近くの縄文時代の遺跡「里浜貝塚」から出土した縄文土器や骨角器、石器、装身具、縄文人の食料である魚や獣の骨などが展示されている。

松島湾沿岸には約70か所もの貝塚が集中しており、松島湾沿岸は、特に貝塚が密集する地域として全国的に知られている。この地の国指定史跡の里浜貝塚は、縄文時代前期(約6800年前)から弥生時代中期にかけての集落跡で、保存状態の良好な貝塚が広範囲に残存し、日本最大級の規模(東西約640m、南北約200m)を持っている。松島湾沿岸地域の拠点的集落のひとつであったと推定されている。

広範囲に広がる貝塚は、「西貝塚」、「東貝塚」、「北貝塚」の3つの貝塚群からなり、里浜縄文人は、数百年~千年単位でムラの場所を移動しながら、各地点に生活の跡を残したものと考えられている。