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宮城県多賀城市山王字千苅田

震災前取材

 

山王遺跡は多賀城跡の西方に位置した、東西2km、南北1kmの広範囲にわたる遺跡。ここはその遺跡のほぼ中央にあたり、四面廂建物群を中心に数棟の建物跡と井戸跡が発見された。これらの遺構は、国司の館の中心部分と考えられる。

この館は、南側が幅12mの東西大路に面しており、敷地は100m四方の広さを持つと思われる。日常生活や宴会に使われたと思われる多量の土器や施釉陶器、中国から輸入された高級な陶磁器、都の右大臣に陸奥国の駿馬を贈ったその受取状を保管しておくための木簡などが出土している事から、平安時代の守(国府の長官)の屋敷と考えられている。国守は東西大路を通ってここから北東1.2km先の多賀城政庁に勤務していた。