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宮城県多賀城市市川

震災前取材

 

この地の井戸は、未だに涸れずに湧き続けているという。この井戸に関して以下のような伝説が伝わる。

京の都に母親を残してこの地に赴任してきた若い官人がいた。京の母は、息子の無事を案じて暮らしていたが、ある日待ちに待った手紙が息子から届けられた。 しかし、それを読んでゆくうちに、母親の顔は心配そうな顔になっていった。手紙には、多賀城というところは何処に井戸を掘っても塩辛い水しか湧か ず、飲み水にはとても不自由していると書かれていた。

母親は翌日、朝早く起き、日ごろ信心している岩清水八幡に参詣し、遠く離れた地の息子に、良い水を与えるように二十一日のあいだ参詣し祈った。

この若い官人がある日、一人静かに政庁を出て南大門の方に足を運んでいると、かたわらの大きな石に一羽のこうのとりが羽を休めていた。珍しいことと思い、そうっと近づいていくと、大きな翼を広げ飛び上がってしまった。そして、大空に舞うように輪をかき、南の空に消えて いった。

こうのとりが飛び去った後、不思議なことに、こうのとりがとまっていた石が、みるみるうちに土のなかに沈んでゆき、ぽっかり穴があいた。この官人が穴のふちからのぞいて見ると、底からきれいな水がこんこん音を立てて湧きだしていた。これをためしに飲んでみると、今まで飲んでいた塩辛い水ではなく、京の都にいるときでも味わったことのないおいしい水だった。

それからというものは、どんなにひでりが続いても、この井戸は涸れることはなく、いつでも、小さな水晶玉のようにキラキラ光るきれいな清水が湧い た。そして、ここからあふれでた水が溜って池となり、この泉は玉の泉、池は鴻の池と呼ばれるようになったという。