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宮城県多賀城市新田字南安楽寺

震災前取材

 

七北田川の旧堤防に「割石」と呼ばれる供養碑がある。この供養碑は、元応元年(1319)の記載がある碑が二つに割れ、後に追刻されたもの。

この割石には次のような伝説が残っている。

昔この地は、大雨が降ったり、長雨が降ったりすると、川がはんらんし堤防が切れ、農作物や人畜に被害を及ぼすことが多かった。そこで、どんなに雨が降っても切れない堤防をつくろうという話になった。

村の肝入の家に集まり相談を重ね、人柱を立てるという話になった。村の男たちが総出で工事をはじめるのと同時に、夜にここを通る者を人柱にするため交代で待ち伏せしていた。ある夜、たまたまそこを通り合わせた女性を捕まえ、その堤防に生き埋めにし人柱とした。

堤防は無事に完成したが、しばらくすると、堤防に幽霊がでるという噂がたち始めた。その幽霊は女の姿で、髪をふり乱し、うらめしそうに泣きながら訴えるのだという。人柱にされた女が成仏できず幽霊となってさまよい出てくるのだろうということになり夜は勿論、日中でもこわがってそこを通る者がいなくなってしまった。

この噂を聞いた一人の武士が、小雨のそぼ降る晩に傘もささずただ一人堤防に行くと、人魂が燃え、幽霊が佇んでいた。武士は近づき、間合いを計って腰にさした刀を抜き切りつけると手ごたえがあり幽霊は消えうせた。

翌朝、この辺を見ると、石碑が断ち割られていた。以来、幽霊の泣き声は絶えたということだ。