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宮城県多賀城市市川字大畑

震災前取材

 

多賀城神社は、後村上天皇、北畠顕家、北畠親房、伊達行朝、結城宗廣らの南朝方の諸将を祀っている。

後醍醐天皇は元弘3年(1333)、鎌倉幕府を倒し、建武の新政を樹立した。しかし、足利尊氏らとの軋轢があり、これに備え北畠顕家を陸奥守に任じ、顕家は父の親房とともに後醍醐天皇の第七皇子の義良(よしなが)親王を奉じて多賀城に入った。このとき、義良親王は六歳だったという。

義良親王は、延元4年(1339)に後醍醐天皇の死により吉野の行宮で後村上天皇として即位するまでの間、通算3年間を陸奥の太守として多賀城で過ごした。

即位後は、京都を中心に足利尊氏らの北朝方との抗争の中に身を置き、幾度か京都の奪回に成功したが、次第に南朝方の力は弱体化し、足利義満将軍就任後の1368年、御座所にしていた住吉大社宮司の津守氏の住之江殿(大阪市住吉区)にて崩御した。