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宮城県多賀城市八幡二丁目

震災前取材

 

八幡館は、低い丘陵に立地する中世の館跡で、本郭は現在浄水場になっている。現在、遺構は何も残っていないようだ。

北と西は急斜面で、北側に砂押川が流れている。東側が緩斜面で、地形から見ると、東側に大手口を持ち、二の郭、三の郭と広がる梯郭式の館のように思われる。

中世の城主は、「八幡村風土記御用書出」によれば、伊沢四郎家景家臣八幡兵庫とされており、留守氏の勢力下にあったものと思われる。藩政時代には、八幡には山形天童氏が準一家として入り、すぐ近くの末松山宝国寺、喜太郎神社とも天童氏のゆかりの寺社であることから、この地は天童氏が関わっていたかもしれない。

この本郭跡を東に下ると末の松山があり、位置的にはその辺りが二の郭で、末の松がある場所は土塁とも思えるが定かではない。