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宮城県多賀城市南宮字町…慈雲寺山門

震災前取材

 

慈雲寺山門は、江戸時代の寛文期に建てられた伊達忠宗の廟所である感仙殿の廟門と伝えられる。平屋造りの四脚門。

経ヶ峰にある伊達家の墓所の感仙殿、善応殿は、明治10年(1877)から12年(1879)にかけて整理され、本殿以外の建物は取り壊されることになった。このとき、慈雲寺がその廟門を譲り受け移築したといわれている。

伊達忠宗は、寛永13年(1636)、父、政宗の死去に伴い、38歳で家督を相続し二代藩主となる。徳川氏から妻を迎え、また仙台東照宮を建立するなど徳川幕府との関係を強めると共に、仙台藩の地位と基盤固めに務めて大いに功績を残したため、『守成の名君』と評された。

忠宗は、政宗時代に確立された藩の諸制度、役職などをもう一度整備し直し、仙台藩の基盤を強固なものにした。奉行職を正式に藩組織の職制とし、 六人の奉行とさらに五人の評定役をおいて合議制によって藩政を運営していくこととし、専制の強かった戦国期の政宗の藩政から、平時にふさわしい「合議制」へと移行させた。