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宮城県多賀城市留ヶ谷三丁目

震災前取材

 

歌枕で名高いおもわくの橋は、野田の玉川にかかる橋で、かつては小さな土橋だったと言う。四代藩主伊達綱村の時代に整備が行われ、橋の東側丘陵に、平安時代の西行の歌にちなんで、楓が植えられたという。元禄2年、松尾芭蕉もこの地を訪れている。

ふままうき もみぢのにしき ちりしきて 人もかよはぬ おもわくの橋      山家集  西行法師

この地には、次のような話が伝えられている。

紅葉山という丘のふもとに清水がわきでており、そのほとりに「おもわく」という名の美しい女性がいた。このあたりを通った安倍貞任は彼女に思いを寄せ、彼女の家に通うため玉川に橋をかけさせた。その橋を「安倍の待ち橋」または「おもわくの橋」と呼ぶようになった。

安倍貞任は、永承6年(1051)、鬼切部の戦いを端緒とする「前九年の役」で、国守の敵人として最後まで戦い抜いた人物である。