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宮城県多賀城市八幡二丁目

震災前取材

 

「沖の石」は、伊達綱村のころに歌枕の地として保護され、松尾芭蕉が訪ねる以前から藩政の一環として大切に保護されたもの。

沖の石は、末の松山の南約50mの住宅地のなかにある。直径10数mの池の中にはでこぼこした奇岩があり、海の磯と見紛う光景が現れる。岩の上には松や楓が枝を広げている箱庭のような自然の石庭である。古来より歌枕として都人を魅了し、小倉百人一首にも収められている。

この「沖の石」は、海から離れていながらもその点景を表し、二条院讃岐の歌の中の、乾きを知らない海の石に、恋に涙する身を重ね合わせたものとして使われている。

多くの歌枕がそうであるように、都に伝わるわずかな点描を、歌人達は自分の思いの中で膨らませ実際のものとは異なることも多い。歌枕はイメージの中にこそ存在するものだろう。

二条院讃岐の歌の中で、

わが袖は しほひに見えぬ おきの石の 人こそしらね かわくまぞなき

とあるが、「潮が退いても姿を見せない石」となっているが、実際には海から少し離れた位置に思いがけなくある、自然の造形の石庭である。

おきのいて 身を焼くよりも 悲しきは 宮こ島べの 別なりけり       「古今和歌集」 小野小町