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宮城県多賀城市八幡二丁目

震災前取材

 

歌枕「末の松山」は、末松山宝国寺にある。現在の松は、樹齢450年と推定されており、江戸時代に松尾芭蕉が『奥の細道』の旅路において見た松はこの松ということになる。

松尾芭蕉は奥の細道の中で

「はねをかはし枝をつらぬる契りの末も、終にはかくのごときと、悲しさも増さりて」

と老松に対して無常観を書きあらわしている。もしかすると、現在の松のほかに別の松もあったのかもしれない。

平安の昔から、その佳景を称えられた「末の松山」は、多賀城に赴いた中央官人らによって都に伝えられ、「愛の契り」に触れた歌の歌枕としてに多く詠まれ慕われ続けた。

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 なみこさじとは         後拾遺和歌集 清原元輔

君をおきて あだい心を わがもたば 末の松山 波も越えなん          東歌

不如帰 すゑの松山 風吹けば 波越すくれに たちゐなくなり          俊頼朝臣

たのめおきて その云いごとや あだなりし 波越えぬべき 末の松山       西行