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宮城県塩竃市泉ヶ岡…塩釜高校校庭

震災前取材

現在の塩釜高校の校庭付近は鳥居原と呼ばれ、 この地を古くは国府多賀城と国府の港としての塩竃の浦を結ぶ古道が通っていた。国府多賀城を建立する時も部材を海路で運び、塩竈の港に陸上げしたと考えられている。

このような地理的な関係から、この地には古くから市場が開かれたと考えられ、この地にはかつて塩竈神社の表参道として 石の鳥居があり、常設の門前市が開かれていた。塩竃は、塩という当時の重要な特産物を背景に、物資交易の中心地となっていた。

京都奈良以東では最古の市場と言われて おり、また金売り吉次が塩竈の周辺に住まいを持ち、金の商いをしていたとも伝えられている。