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宮城県塩釜市泉ヶ岡

震災前取材

この地の煙波亭は、塩釜神社の禰宜の藤塚知明の別邸だった。知明の和漢の学識は広く知られ、仙台藩内の代表的な学者、文人だった。そのため、知明の識見を求めて訪れる者も多かった。

中でも、寛政の三奇人といわれた林子平とは特に親交を重ね、子平の「海国兵談」の刊行には、資金援助もしたと伝えられる。

蒲生君平、高山彦九郎らの当代一流の政客、墨客、文人らと交流し、林子平を禁錮の刑に処した松平定信とも親交があったとされる。知明は、訪れた文人墨客らを、 雲波煙波の語のごとくのこの亭で饗応した。林子平が、幕吏に追われたときには、この亭に隠まったとも云う。

またこの地には、知明が建てた「芭蕉翁晩鐘」があり、奥の細道の塩竈の浦ゆかりに関して、知明の書で詳しく刻まれている。