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宮城県登米市米山町西野字新遠田…道の駅米山

震災前取材

丸山権太左衛門(1713~1749)は、江戸時代の大相撲の力士である。現在公認されている横綱の中では3代目に数えられるが、2代目とする説もある。

幼名を銀太夫と称し、正徳3年(1713)芳賀楽右衛門の子として遠田郡中津山村に生れた。身長6尺5寸(197cm)。体重43貫(約166kg)、手形は長さ8寸(約24.2cm)あったと伝えられている。

幼少の頃からその怪力は有名で、顔を洗う手拭いをしぼり切ったとか、開墾の手伝いをしていた時、篠竹を手で引きぬいたという伝説が残っている。また稽古の時には、腰に綱を巻き、数人の弟子に後ろに引かせながら前の相手を押し出したという逸話も残る。

享保14年(1729)、この地の領主の大立目氏と共に江戸に登った。大男故に道中歩く事は苦手だったという。仙台出身の名力士七ツ森折右門の相撲弟子になり、13年間で2敗と無敵だったと云う。寛延2年(1749)熊本の吉田司家より横綱の免許を受けたが、同年、破傷風で長崎の地で37歳で没した。

墓は没した長崎の地にあるが、この地の松寿院にも墓碑がある。