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宮城県石巻市渡波字大森…サンファン館

震災前取材

サン・ファン・バウティスタは、その船体を黒く塗っていたことで「伊達の黒船」とも呼ばれたと言う。

スペインの「ガレオン船」をモデルとして仙台藩が建造したもの。全長55m、幅11m、高さ40m、排水量500tで、当時の日本では、超大型船だったと言え 、世界でも最大級の木造帆船だった。 現在復元され、石巻サン・ファン・バウティスタ・パークに繋留されている。

ガレオン船の特徴は、長期航海の安全性に重点が置かれていること。構造的には喫水が深く(4.5メートル)復元力が優れている。このガレオン船の出現により、スペインは世界の海を制覇した。

 

・慶長遣欧使節

支倉常長ら一行は現在の宮城県石巻市にある月ノ浦を慶長18年(1613)10月28日に出航、遠くスペイン、ローマに向かった。この慶長遣欧使節が乗り込んだ船は、スペイン側の記録ではサン・フアン・バウティスタ号(洗礼者聖ヨハネという意味)とよばれ、総勢180人あまりを乗せて船出した。

この使節は、伊達政宗が、当時チリで産出されていた、火薬の原料としての良質な硝石をスペインとの貿易により得るためであったという説もある。また、メキシコは当時金銀が産出し、その鉱山技術と精錬・冶金技術が日本には魅力だったからとも言われている。

サンファンバウティスタ号は黒潮に乗って、北米はカリフォルニアのメンドシノ岬に到達した。のち海岸沿いに航行、翌慶長19年1月に、最初の目的地であるメキシコのアカプルコに到着した。

支倉常長らは、ローマに向い、ローマでは常長の高潔な人柄がほめたたえられ、常長は貴族の位を与えれられ、彼をはじめとする8名にローマ市公民権が授与された。

しかし、日本の切支丹への迫害弾圧や、ヨーロッパのキリスト教の会派の勢力争いなどのために、スペインとの貿易交渉は難航し、当初の目的を達することはできなかった。