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宮城県石巻市中瀬

震災前取材

旧北上川の中瀬にある明治13年(1880)に建てられた教会で、木造教会建築としては日本最古のもの。1978年に宮城県沖地震の被害を受けたが、地元の建築家たちの好意で移築復元され、今の場所に移された。ビザンチン式の洋風建築。手摺や土台には、塗り潰してから新たに木目を描き入れる「木目塗」と呼ばれる明治初期の洋風建築の意匠が施されている。

「ハリストス」というのは、ロシア語で「キリスト」のことで、ハリストス正教は、ロシア正教または東方教会と呼ばれるキリスト教の一派。

この宗派は、文久元年(1861)ロシア人のニコライが函館に渡来し伝えた。ニコライは、明治5年(1872)上京、東京の築地で布教を開始した。

戊辰戦争の折に、旧幕府軍と共に折浜から榎本武揚艦隊へ乗船した多数の仙台藩脱藩兵士等が後に箱館で洗礼を受け帰郷した。宮城県北部にハリストス正教が定着するようになったのはこのことによる影響が大きいと考えられ、後の自由民権運動にも影響を与えたと考えられている。

石巻では明治初期から本格的な布教が始まり、明治10年(1877)には、中町の商人伊藤忠右衛門が家族ともども信者となった。東京で入信し帰郷した勝又あきら氏らの努力で、石巻に教会堂が作られた。教会の建設は、11名の信徒からなる「兄弟会議」が結成され、建設費999円は、すべて信徒からの献金でまかなわれたという。

石巻の初代司教の沢辺琢磨(1834~1913)は坂本竜馬のいとこにあたり、函館で布教を始めたニコライの殺害を企てていたが、その教えに感銘して洗礼を受け、熱心な信者となった人物。

掲げられているイコンは、ロシア王室に献上の実績がある明治の代表的女流画家山下りん(1857~1939)が描いたものとされる。