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宮城県登米市迫町佐沼字内町

震災前取材

この地は藤ヶ崎と呼ばれ、岸辺には老藤が古木にからみ、藤の花の名所として知られ、鶯が常時さえずり、訪れる人々を楽しませたと云われている。

しかし、この地を流れる川筋は、かつては佐沼川の本流であり、渕の水深は二丈あまりで、恐ろしいほど渦巻いていた。

文明年間(1473~1487)、佐沼城主の佐沼直信の妻、佐沼御前はこの地で入水自殺をしたと言われる。御前は大崎政兼の娘で、夫の直信が大崎家に反抗したことで、その板挟みになり入水したと云う。遺体は豊里の西前に漂着したので、その地を西前御前巻という。

御前の霊は旧暦六月になると佐沼に溯ると伝えられている。