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宮城県石巻市須江古土手

震災前取材

かつて糠塚の辺りには迫川が流れており、この地は船場として栄えていた。

この頃、お菊茶屋という船乗り相手の有名な茶屋があった。この茶屋には、鶏がまるで生きているかのように描かれた屏風があり、夜には刻を告げるとお菊ばあさんは自慢していた。

ある日、茶屋に立ち寄った船頭とその話になり、船頭はそのようなことがあるものかと思い賭けをすることになった。すると不思議なことに、夜中になると鶏は本当に刻を告げた。船頭は仕方なく約束の米をお菊ばあさんに渡し国元に帰った。

しかし船頭はどうしても収まらず、数日後再び賭けを挑んだ。船頭は、今度は前もって屏風の鶏の喉に太い針を突き刺しておいた。さて夜中になり鳴くのを待っていたが今度は鳴かず、賭けに負けたお菊ばあさんは船頭にむりやり全財産を取り上げられてしまった。

この時船頭は、負けたときのために、船には米に見せかけた籾殻を積んできていた。この不要になった籾殻をみな川岸に投げ捨て、そこが今の糠塚と言われる所だという。