宮城県石巻市沢田

 

万石浦は、牡鹿半島の付け根付近に位置する海跡湖で、南側が海につながっている。周辺には梨木畑貝塚等があり、古来より豊かな入江であったことが分かる。

古くは歌枕で「奥の海」として読まれている。

    尋ね見る つらき心の奥の海よ 汐干の潟の いふかひもなし  藤原定家

藩政期に入り、仙台藩二代藩主伊達忠宗が、牡鹿半島に鹿狩に来たときこの地に立ち寄り、「この入江を干拓したら万石の米がとれるだろう」と語ったことから「万石浦」の名が生まれたと伝えられている。

江戸時代から昭和35年(1955)頃までは、入浜式の製塩が盛んに行なわれ、塩田として発達していた。特に江戸時代には、伊達藩の約半分の塩が生産され、藩の財政の一翼を担っていたといわれている。

現在は、海苔やアサリ、カキの養殖場として知られ、種ガキは海外まで輸出されている。

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