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宮城県石巻市渡波字祝田

震災前取材

新発田藩士久米孝太郎は、父の仇の滝沢休右衛門を苦労の末に探しあて、安政4年(1817)10月、ついにこの祝田浜において討ち果たした。

文化14年(1817)、越後新発田藩中小姓久米弥五兵衛は、同藩の藩士宅で馬廻役滝沢休右衛門に殺害された。その長男久米孝太郎は成人したのち仇討ちの旅に出て、事件発生から41年後に、僧形に扮し「黙昭」と名乗っていた滝沢休右衛門を討ち果たした。

この仇討ちは、史上2番目に長い仇討ちとして有名で、その後、菊池寛、長谷川伸らの小説の素材として取り上げられた。

この地の近くの梨木畑地区には、地蔵を刻んだ供養碑が建っており、地元では、討ち取られた休右衛門の胴体を埋めた「どんがら塚」であると言い伝えられている。

久米孝太郎は仇討ちの後、新発田藩に戻り奉行を勤めたりしたが、晩年は、各地を放浪し、この地にも再度足を向けたと言われている。