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宮城県石巻市須江字舘

震災前取材

別名:塩煮田館

河南町11ヶ城の一つ。中世期の築城で、その規模、構造は河南町随一で、高さ60m、東西40m、南北200mに及ぶ丘陵の全部が城館跡といわれている。頂上に八雲神社が鎮座し、裏側に土塁らしいものが認められ、南側には東西に走る空堀が見られる。

塩野田城は、別名塩煮田城ともいわれ、古い時代ここで塩をつくり、将士に供したところからこの名があると伝えられる。

城主は須藤勘解由左衛門、又は矢代斉三郎と伝えられている。須藤勘解由左衛門は糠塚城主とも伝えられているが、石崎氏の系図によれば、石崎氏もまた糠塚城主であり、石崎勘解由左衛門の名が記されている。