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宮城県登米市東和町米谷字宮ヶ沢

震災前取材

鳥海(とりうみ)神社は、この地の城館の楼台城の尾根西端上にあり、城の守護神だったと思われるが、詳細は定かではない。

この地には、次のような伝説が伝えられる。

昔、鳥海神社の裏山に大きなしっぽのない大蛇が住んでいた。村人に悪さをすることもなかったので、権坊と呼ばれ親しまれていた。この頃、楼台の要害には忍田(おしだ)長者が住んでいたが、この夫婦には子供がなかったため、鳥海神社に百日の願を掛け、子授けを願った。満願の日、妻の夢枕に権現様があらわれ、懐妊したことを告げられた。その10ヵ月後、妻は玉のような女の子を安産し、夫婦は大いに喜び、名を「おとら」と名づけ、それはそれは大切に育てた。

長ずるにつれて、おとらは美しさをあらわし、17、8になると、村で評判の美女となった。大蛇の権坊もおとらに想いを寄せて、人間に姿を変えてしげしげとおとらのもとに通うようになった。長者は気が気ではなく、相手が大蛇であるために、その祟りも恐ろしく、思い悩んでいた。

ある晩長者は、思い切って娘の許へ通ってきた若者姿の権坊に、「おとらは権現様から授かった大事な娘なので、嫁にやるわけにはいかない。通うのはやめてくれ」と頼んだ。しかし権坊は諦めきれず、「娘さんを嫁にいただければ、望みはなんでも叶える」と一歩も譲らない。長者は、出来そうもない難題を出して諦めさせようと思い、「それでは一晩で北上川を堰き止めることができたらおとらを嫁にやろう」と言った。権坊は「わかりました」と言ってその晩は帰っていった。

約束はしたものの、権坊にとってもこれは大変な難題だった。しかし、おとらへの思いは強く、考えあぐねた末に、自分の住む岩山を根こそぎ運び、北上川へ投げ込んで堰きとめようと考えた。権坊は、夜になると、自分の住んでいる大きな岩山に体を巻きつけて、渾身の力を込めて、グイグイと動かし始めた。岩山は少しずつ動き始め、その岩山の揺れ動く音は村中に鳴り響き、大地震のようだった。村人達は驚き目を覚ましたが、恐ろしく、誰も岩山へ行って見る者はいなかった。

長者は気が気ではなく、走って行って見ると、岩山は少しずつ北上川に向かって動いていた。長者は川岸の高台に登り見ていると、大蛇は渾身の力で岩山を引きずり、地響きと共に岩山は目前に迫ってきた。腰を抜かさんばかりに驚いた長者は、身に着けていた箕をバサバサと力いっぱい叩いて「コケッコッコー、コケコッコー」と叫んだ。それを聞いた大蛇の権坊は、「ああ、もう一番鶏が鳴いたか。」と諦め、岩山をそこへ残したまま川へと飛び込んだ。

村人たちが駆けつけて見るとそこには大きな渦巻きができていた。そして長者は箕を片手に腰が抜けたようにその渦巻きを見つめていた。村人はその後ここを権坊巻と呼ぶようになった。

その後大蛇の権坊は二度と姿を現さなかった。おとらはいつまでも若々しく、村人たちからトシチ(17歳)と呼ばれ、80歳くらいまで長生きしたが、一説には鳥海大権現の化身だったとも伝えれている。