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宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺寺山

震災前取材

弥勒寺はこの地方有数の古刹で、白鳳5年(665)、役の行者が一宇の草堂を建立したのが始まりとされる。また、弘仁年間(810~24)に、弘法大師が奥州巡錫の折に、この寺で弥勒尊の大法を修したとも伝えられている。

奥州藤原氏の尊崇も篤く、三代藤原秀衡が、亡き父基衡追善のため48坊を造営し、藤原氏の祈願所としたと云い、現在も二代藤原基衡の位牌を祀っている。その後中世には、葛西、大崎両氏により、24坊が再興され菩提寺としたと伝えられるが、天正19年(1591)、葛西、大崎一揆の際、二度にわたる戦火で焼失した。その後近世に入り伊達氏の庇護を受け再興されたと伝えられる。

この寺は、古くから「北上川の弥勒尊」として、最上川、相模川の弥勒尊と共に、「日本三弥勒尊」の内の一つと数えられ、また、藤原秀衡の深い高野山信仰の関わりから「奥州の高野山」とも称されている。