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宮城県登米市津山町柳津大柳津…虚空蔵尊参道

震災前取材

柳津虚空蔵尊の参道にかかる鵲(かささぎ)橋は、歌人として有名な、大伴家持ゆかりの橋。

大伴中納言家持は、征夷大将軍として多賀城に赴任し、しばらく桃生郡の茶臼山にあった。宝亀3年(772)春、家持は参詣のためにこの地を訪れた。祈願の路であったので従う者も少なく、花をめで歌を詠むなどして楽しんだ。帰り道、 渓流に衣を洗う娘の姿を見た。その娘は、清楚端麗で、呉越の美妃西施もかくやと思われる程の美しさだったという。

家持はこの娘に心惹かれ、この地にたびたびしのび、逢瀬を重ねるようになった。夜の更けるも知らず語りあかし、帰途につく家持が、しらじらと霜おく橋に立ち詠んだのがこの歌であると云う。

鵲の 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける

鵲橋は、七夕の夜、鵲が翼を広げて天の川に橋を架け、織女を渡すという中国の伝説に由来する「鵲の橋」で、この歌は小倉百人一首に詠まれ、永く世の人に伝えられている。

現在の橋は、明治39年(1906)日露戦争の戦勝記念事業としてかけられたものである。