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宮城県登米市中田町上沼字本宮

震災前取材

上沼八幡神社は、平安時代の天喜元年(1053)、源頼義、義家によって祀られた古社である。

平安中期、安倍頼時、貞任父子は朝廷に反逆し、これを征討するため鎮守府将軍源頼義は日高見川(北上川)を北上し、この地の八幡山に屯営した。更に康平治暦年中(1058~69)、二度にわたり源義家もこの地に陣を張り、八幡神に戦勝を祈願し、霊夢により完勝した。

このため、源頼義、義家は、社殿を建立し、武具を納め社地を寄進したと云う。拝殿脇の姥杉は、そのときに源義家が手植したものと伝えられる。また境内には教壇森があり、源義家が、源氏の白旗一流と真筆の八幡経を埋めたと伝える。

以来、代々のこの地の領主の崇敬を集め、また領民も家内安全、商売繁盛、身体健全等を祈願し信仰を集めた。慶長9年(1604)、伊達宗直が登米寺池城主となると、社領、武具を寄進し、また西郷家は沼館城乾方の鎮護となし、弓矢守護神として崇敬した。

社殿は文明2年(1470)に大修繕を行い、安永5年(1776)には宮殿を再建、朱塗りも鮮やかな社殿であったため「奥州の朱八幡」と称されたと伝えらる。境内には神社山門である随神門が配置され、神仏混合の形式が見られる。