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宮城県気仙沼市本吉町大朴木

震災前取材

本吉町の小金沢から、国道45号線から北に2kmほど入ったところに大谷金山跡はある。この地域の産金の歴史は古く、遠く前九年の役(1051~1062)以前に遡ると言われ、奥州藤原氏の黄金文化を支えたとも伝えられている。この鉱山を中心に、津谷、赤岩、馬籠、入谷などへと広がり、その金は「本吉金」と呼ばれていた。

戦国期の終わりから江戸時代初期にかけては、この地帯の鉱山労働に従事した中には切支丹も多く、後に大弾圧を受け、多くの殉教者を出したところでもある。江戸時代以降も仙台藩の有力な財源として掘り続けられ、明治に入っても、旧坑の開発が試みられ、昭和初期には我国有数の金山として盛名を馳せるに至った。しかし資源の枯渇などにより、昭和51年(1976)に廃鉱となり、その歴史に幕を下ろした。

昭和の最盛期には、1500人ほどの人々が働いており、鉱山から麓まで社宅が立ち並び、鉱山付近には映画館や学校、床屋などがあり、大きな街を形成していたという。現在、跡地には鉱山の歴史資料館が建つ。