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宮城県気仙沼市本吉町馬籠町頭

震災前取材

神社の正面の最高部が本郭跡と云われている。本郭は直径70mほどの円形の平場で、その周りを二重の深い空掘と土塁で囲まれ堅固なつくりになっている。

本郭から一段下がったところにも平場があり、そのまわりにも空壕が掘られており、四方は断崖が切り立っている。

規模は高さ30m、東西200m、南北100mで、街道に向けて構えられている。この地方では有数の堅固さを持った城館である。

この遠野館は、鎌倉期地頭の馬籠千葉氏の居館である。3代周防守行胤は、建武3年(1336年)奥州探題葛西高清に襲われ、気仙沼赤岩城熊谷氏と共に戦ったが、一族は殆ど討ち死し敗退した。子孫は葛西家の家臣となり、馬籠氏と改姓した。

以後天正18年(1590年)の葛西氏滅亡まで遠野館に居り、近隣に威を張り、この間永正12年(1515)、天正2年(1574)の志津川本吉氏の乱や、天正14年(1586)の歌津合戦にも参戦した。なお歌津稲渕館の馬籠四郎兵衛重胤は、遠野館主馬籠大和重吉の二男である。