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宮城県気仙沼市本吉町信夫

震災前取材

 

北側に本郭と思われる平場があり、南に二の郭、三の郭と思われる平場が連なる。所々に土塁、堀跡が見られる比較的小さな山城。

平泉藤原氏の時代に、この地は信夫の荘司佐藤基治が管理していた。この地に一族を住まわせ、出身地(福島信夫)の名をとり信夫館と称した。文治5年(1185)には、佐藤継信、忠信兄弟の母である、乙羽御前が住んでいたと伝える。

後に、佐藤基治の後裔の佐藤信継が葛西高清に近侍し、建武3年(1336)、馬篭合戦で功を挙げて、信夫館を与えられ、新佐藤氏の始祖となった。11代信貞は葛西晴信の家臣となり、天正16年(1588)、浜田の乱に戦功があった。

しかし、天正18年(1590)、奥州仕置きによる葛西氏の滅亡とともに、この館も取り壊された。