宮城県気仙沼市上東側根

 

鹿折金山は、平泉の黄金文化を支え、平泉の藤原清衡が金色堂を造ったときに「金」が献上されたという。

下って文禄3年(1594)、豊臣秀吉が全国の金山支配権を握り、年3度の運上を課したのに対して、この地方の農民3000人が千厩に集まり一揆を起こしている。

さらに慶長年間(1596~1615)、徳川幕府も全国の金山鉱山の開発をすすめ、鹿折金山も伊達政宗の命によって掘られた。しかし天明の大飢饉(ききん)のため伊達藩も閉山を余儀なくされた。

明治に入り、全国の金山鉱山開発も活発になり、明治37年(1904)に巨大な金鉱石が発見された。モンスターゴールドと命名された自然金塊は、重さ約2.25kg、金の含有量83%で、自然金としては最大級の塊だった。この金塊は、同年アメリカのセントルイスで開かれた万国博覧会に出品され大きな反響を呼び、銅メダルが授与されている。日露戦争最中でもあり、日露戦争の外債募集でも国際的にクローズアップされた。

明治末期に全盛期を迎え、使用人300人、事務員70人を数えたが、昭和37年(1962)に閉山となった。

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