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宮城県気仙沼市赤岩上羽田…羽田神社

震災前取材

海抜320mの山腹に鎮座する羽田神社の境内にこの杉はあり、樹齢は凡そ800年と推定される。

太郎坊杉は社殿に向かって右側にあり、樹高約46m、根幹境界部の周囲は8.82m、地上1.5mの幹囲6.93m、枝張東西17m余、南北13.5mである。次郎坊杉は社殿の左側に位置し、樹高約44m、根幹部の周囲は9.lm、地上1.5mの幹囲6.7m余で、枝張は東西14.5m、南北12.5mである。次郎坊の梢はやや枯死しているが、両者とも樹勢が盛んで、姿もまた美しい巨杉である。

文治2年(1186)尾形三郎維義の嫡子小太郎維久、次男の維村の手植え杉といわれている。尾形三郎惟義は、もとは緒方と称し、豊後国大野郡緒方荘を領していた剛勇の士で、『平家物語』には、九州の姥が嶽で大蛇と交わった娘が生んだのが惟義で、体中にうろこがあり、尻には蛇に似た尾がはえていたという。

治承4年(1180)、源頼朝が挙兵すると、平氏に反旗を翻し豊後国の目代を追放した。九州の反平氏勢力の中心的存在で、平氏が都を落ちたのち、筑前で勢力を回復すると、平氏を大宰府から追い落とした。また、源義経や源範頼の平氏追討軍に船を提供し、葦屋浦の戦いで平家軍を打ち破った。

その後、源義経が源頼朝に背反した際には義経に荷担し、都を落ちた義経と共に船で九州へ渡ろうとするが、嵐のために一行は離散し、惟義は捕らえられて上野国沼田へ流罪となったと云う。

この地に伝えられる話では、その後惟義は、義経を追い、この地に下り、羽田神社に、陣太刀一振りを寄進して自ら祭主の任に当たって一族主従の命運を祈ったといわれている。