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宮城県加美町味ヶ袋字薬莱原

震災前取材

薬莱山は、宮城県加美町のシンボル的な山で、加美富士とも呼ばれている。町内の様々な場所からその秀麗な姿を見ることができる。現在薬莱山の周辺は、リゾート地として開発が進められており、牧場やスキー場、プール施設、温泉、宿泊施設などがある。

天平9年(737)、鎮守府将軍大野東人が、陸奥と出羽を結ぶ軍事道路である「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫が斃れた。このため将軍は、薬莱山上に医薬の守護神『大己貴神』『少彦名神』を祀り、病気の鎮伏と工事の完成を祈願し、無事工事を終えたと伝えられている。

その後、延暦23年(804)に、この地に来た征夷大将軍坂上田村麻呂は、薬莱山上に日吉二十一社の内より薬師三社を勧請した。以来この山を「薬莱山」と称するようになり、医薬の守護、病難退散、寿福招幸の山として信仰されている。

 

・朝比奈三郎伝説

昔、朝比奈三郎という大男が、弓の稽古をするため、的にする山を作ることにした。そこで黒川の あたりから七回ほど土を運び的山をつくった。これが矢喰山(薬莱山)だという。

このとき、途中一回づつ休んだときに土がこぼれ、その土が固まってできたのが「七ツ森」で、土を掘ったところが「品井沼」、三郎が歩いた足跡が「吉田川」になったと言う。