岩手県宮古市山口第四地割

震災前取材

 

標高330m余りの黒森山は、宮古市街地の北側に位置し、かつては、その名が示すように一山が巨木に覆われ、欝蒼とした昼なお暗い山であった。山頂に大きな杉があり、宮古湾を航海する漁業者などの目印ともなったことから、陸中沿岸の漁業、交易を守護する山として広く信仰を集めてきた。

平安~鎌倉期に神仏習合の影響をうけ 、本地仏聖観音として定着し、人の世の苦難救済の本願所となった。室町期には、その権現として獅子頭が奉納され、これにより、農繁期には毎年豊作を記念して村々を巡行し、現在も二十数頭の獅子頭が保存されている。この地の歴代の領主により手厚く保護され、真言密教の祈願社として、南部藩主からも篤く崇敬された。

正月になると、黒森神社の神霊を移した「権現様」(獅子頭)を携えて、陸中沿岸の集落を廻り、家々の庭先で権現舞を舞って悪魔祓いや火伏せの祈祷を行う。夜は宿となった民家の座敷に神楽幕を張り夜神楽を演じ、五穀豊穣、大漁成就や天下泰平などの祈祷の舞により、人々を楽しませ祝福をもたらしている。

この黒森神楽の巡行は、旧盛岡藩の沿岸部を、宮古市山口から久慈市まで北上する「北廻り」と釜石市まで南下する「南廻り」に隔年でまわり、近世初期から現在までその範囲は変わっていない。こうした広範囲で長期にわたる巡行を行う神楽は、全国的にも例がなく、平成18年(2006)に国の重要無形民俗文化財に指定された。

この黒森神社には、平泉から脱出した源義経主従が立ち寄ったという伝説が伝えられる。この黒森山に入った義経主従は、この地に三年三月にわたり滞在し、義経はこの地で行を修め、般若経600巻を写経し奉納したという。黒森は、「九郎森」から転じたものであるとも伝えられている。