震災前取材

岩手県宮古市山口第四地割…黒森神社境内

 

終戦も間近の昭和20年(1945)1月、連合軍の輸送船として航海していた敵国の帆船パミール号と、日本の潜水艦伊12潜とが遭遇した。

伊12潜は、昭和19年(1944)10月、アメリカ西海岸に向けて瀬戸内海西部を出撃した。乗組員は117人、艦長は宮古市出身の工藤兼男大佐だった。約2ヵ月間、米本土西岸及びハワイ方面の敵海上交通破壊戦の命令を受けていた。伊12潜は、関門海峡、日本海を経て、一路アメリカ西岸へと向かった。

帆船パミール号は、第一次世界大戦時にドイツのハンブルグで建造された、鋼製4本マストのバーク型帆船で、第二次大戦の時は、主にニュージーランドとアメリカ西岸の間を、戦時物資の輸送船として使用されていた。

この帆船パミール号の前方に 伊12潜が浮上した。艦長はパミール号に停船を命じ、砲をぴたりと向けしばらく双眼鏡で注視していたが、やがて「本艦は貴船の美しさを葬るに忍びず安全な航海を祈る」と信号を発し、そのまま海中に消えていったと云う。

戦後17年、この話が雑誌に掲載され、人から人へと伝えられていった。しかしこの話を裏付ける、伊12潜とパミール号の出会いに関する確かな資料はない。伊12潜は、その翌日以降消息不明、ついに日本に戻ることはなかった。

平成4年(1992)、この伊12潜の物語を知った工藤艦長の生地の宮古で、この話を後世に伝えたいと、宮古市民有志がこの黒森神社境内に鎮魂の碑を建立した。

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