岩手県岩手町沼宮内第11地割

震災前取材

沼宮内城跡は、沼宮内民部常利の城と伝えられ、西を北上川、南は、大坊川に面して峻立する山城である。規模は、東西180m、南北300m、三つの郭から成っており、北郭を主郭として、西側は、三段の三重堀、南郭は二重堀、東郭も二重掘で尾根と切れている。城主沼宮内氏は、文治5年(1189)、源頼朝が奥州平泉の藤原氏征討のとき戦功のあった相模国河村氏の一族とされ、鎌倉時代からの居城と思われる。

沼宮内城は、天正19年(1591)、九戸の乱の際、豊臣秀吉の奥州仕置軍5万3千余が駐留し、南部利直と軍儀を開いた城としても知られている。天正20年(1592)、諸城破却令により破却された。

沼宮内氏は当初は斯波氏に従っていたものと思われるが、斯波氏が衰退する中で南部氏に従属するようになったものと思われる。沼宮内氏の系譜がわかるのは、室町時代末期の民部常利とその子治部春秀が南部氏に従属していた以降であり、永禄9年(1566)には、南部氏の鹿角長牛城攻めに援兵を出している。