岩手県盛岡市北山二丁目

震災前取材

聖寿(しょうじゅ)寺は、盛岡藩主南部氏の菩提寺である。当初は南部氏二代実光が、初代光行の菩提を弔うために三戸に建立したもので、その後衰退していたが南部信直が中興した。
慶長4年(1599)南部氏が盛岡に移り盛岡 城が築城されると、この地に移転し、寺領500石を拝領した。元禄年中(1688~1704)に伽藍が再興され、文化年間(1804~18)には、江戸の感応寺の五重塔を模した五重塔も建設された。

寺内には、南部氏墓所の他、南部氏始祖の南部光行の墓や、戊辰戦争の責任で処刑された盛岡藩家老楢山佐渡の墓、大陸浪人として活躍した横川省三の墓もある。また、蒲生氏郷の養妹で、南部藩二代藩主南部利直の正室となった於武の方が持参していたマリア観音像も伝えられている。