岩手県盛岡市紺屋町

2012/05/16取材

紺屋町にあるこの建物は、明治24年(1891)、盛岡消防よ組番屋として建てられた建物を、大正2年(1913)、消防組第四部事務所として改築したものといわれる。

建物は木造2階建で、当時の学校建築をはじめとする公共施設に見られる木造洋風で、洋小屋組寄棟屋根、南京下見ペンキ塗の外壁、六角形の望楼、外開きの2階窓などにその様式が見られる。

1階は、元は消防器具の常置場で花崗岩の石畳となっていたが、現在はその一部を上がり座敷に改造、街路二面に接する部分を消防車々庫としている。

2階は畳敷の広間となっており寄合に使われていた。2階からは、回り階段で屋根裏を通り屋根上の望楼に登ることができる。

紺屋町にあるこの建物は、明治24年(1891)、盛岡消防よ組番屋として建てられた建物を、大正2年(1913)、消防組第四部事務所として改築したものといわれる。

建物は木造2階建で、当時の学校建築をはじめとする公共施設に見られる木造洋風で、洋小屋組寄棟屋根、南京下見ペンキ塗の外壁、六角形の望楼、外開きの2階窓などにその様式が見られる。

1階は、元は消防器具の常置場で花崗岩の石畳となっていたが、現在はその一部を上がり座敷に改造、街路二面に接する部分を消防車々庫としている。

2階は畳敷の広間となっており寄合に使われていた。2階からは、回り階段で屋根裏を通り屋根上の望楼に登ることができる。