岩手県遠野市上郷町板沢第十七地割

震災前取材

  • 駒形神社
 

岩手県には、平泉を脱した義経主従が蝦夷地へ向けて落ち延びたとする伝説が各地に残る。

平泉を脱出した義経主従は、この地まで来たとき、義経の愛馬の「小黒号」が死んだ。そのため、義経はこの地に祠を建てて、ねんごろに葬ったと云う。

それ以来、この神社は駒形大明神とか駒形神社と呼ばれるようになったと伝えられる。

 

この名馬「小黒号」は、この遠野の小黒沢で生まれたとも伝えられ、小黒沢には次のような伝説も伝えられる。

昔、源義経が奥州藤原氏の平泉館に身を寄せていた折に、この小友町小黒沢に黒鹿毛の名馬が生まれ、産地に因んで小黒と名付け義経に献上した。しかし文治年間(1185~90)、義経は衣川の戦いに敗れた際に、愛馬小黒を放ち郷里の小黒沢に帰し自害した。

小黒は生地の小黒沢でしばらく余生を送っていたが、やがて寂しく老死した。村人たちはこれを憐み、丁重に埋葬し石塔を建ててその菩提を弔ったと云う。