岩手県一戸町岩舘字御所野

2014/08/22取材

  • 御所野遺跡、案内板

御所野遺跡は、馬淵川東岸の河岸段丘に立地する縄文時代中期後半(紀元前2,500年~紀元前2,000年頃)の大規模集落遺跡である。1993年、国の史跡に指定された。遺跡は公園として整備され、竪穴住居、掘立柱建物、配石遺構などによる集落が再現されている。公園内に博物館も併設されている。

中央の広場に配石遺構を伴う墓地が造られ、それを囲んで竪穴建物跡、掘立柱建物跡、祭祀に伴う盛土遺構などが分布し、さらにその外側の東、西にも竪穴建物跡が密集している。遺跡からは、当時の人々が長期間にわたって安定した定住生活を示す具体的な物証である。

盛土遺構からは、土器や石器とともに、焼かれた獣骨や植物種子、さらに祭祀遺物と考えられる土製品などが集中的に出土しており、火を使用した「送り」などの祭祀が行われていたと推定される。

削平地に構築された土坑墓はいくつかのグループを形成し、それぞれ土坑墓の周囲には径2~3m程度の配石が構築されている。配石は、全体が径30~40mの環状配列で、東西2か所に形成されている。配石の外側には掘立柱建物が同じく環状に配置され、配石周辺の柱列や単独柱などとともに独特の祭祀空間を形成している。

竪穴建物跡は、大型建物跡を中心に3~5棟の中・小型建物跡の配置を基本単位としており、大家族の分住を示すのではないかと考えられている。

台地は、奈良時代から平安時代初頭にかけて終末期古墳が構築されている。墳丘はすでに失われているが、いずれも馬蹄形の周溝をもち、外径8~9メートルの規模をもち、計20基を確認している。

平安時代後期には東側と西側の地域に集落が営まれ、竪穴住居や土坑、溝跡などの遺構を検出している。さらに、中世には台地の西側が城館として利用されたらしく、竪穴遺構が見つかっている。

このように、縄文時代以降も人びとによって継続的に台地が利用されてきたことが、調査の結果判明した。

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