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福島県福島市宮代…宮代山王社

 

江戸時代半ばの寛延2年(1749)は、この地は天候不順のため大凶作になった。当時信達地方は天領で、隣接する桑折に代官所が置かれ、神山三郎左衛門が 代官として支配していた。

神山代官は、その大凶作の中、年貢の増税を言い渡し過酷な取立てを行った。そのため農民は困窮を極め、ついに信達地方各村に天狗回状がまわり、六十八ヶ村から、この宮代山王社に百余人の百姓代が参集した。

伊達長岡の斎藤彦内が先導し、山王権現のお告げにより決起することを宣し、年貢の減免を強訴することを協議一決した。

この決起はまたたくまに広がり、斎藤彦内、猪狩源七、蓬田半左衛門、中村治右衛門らを先頭に、総勢1万7千人の農民が総決起、この一揆は江戸時代で も最大規模のものとなった。一揆勢は桑折代官所へ押し寄せ強訴し、年貢増税を中止させた。

しかしその後の代官所側の吟味は厳しく、彦内、源七、半左衛門は死罪となり、治右衛門は追放された。