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福島県塙町字板庭

  • 釜淵
この釜淵から奥は盆地になっており、太古には湖であったと云う。その湖には、主の大蛇が棲みつ いており、大蛇は近づく者に害を与え人々を困らせていた。

ある時、この地を源義家主従が通りかかり、この湖を船で渡ろうとすると船が急に動かなくなった。何事かと思っていると、まもなく大波が立ち、あっという間に船が覆り、義家の従者の源八という者が大蛇に飲み込まれてしまった。

義家は、この釜淵のあたりから水を抜き湖を干し、東にそびえる弓張堂山に登り大蛇に向かって千本の矢を放った。しかしその千本の矢は大蛇に当たらず、側の現在の「千本」の地に落ちた。しかし千と一本目の矢が、現在の「蛇頭」の地で見事に大蛇の頭を射抜いた。

深手を負った大蛇はのたうちまわり、その勢いで山が割れて水は久慈川に落ち、湖はすっかり干上がってしまった。現在の羽黒山と九ツ山は、そのとき割れてできたものだと云う。

なおものたうちまわる大蛇は血を流し、現在の「赤岡」の地は真っ赤に染まった。そしてついに、「龍ヶ沢」で息絶えたと伝えられる。