福島県古殿町山上字古殿

2015/04/16取材

  • 鳥居
 

康平5年(1062)、鎮守府将軍源頼義と義家父子が、安倍一族追討のためこの地に到った。安倍一族の抵抗は強く、官軍も利を失うこと度々だった。しかし、京都男山八幡に祈誓した甲斐があり、次第に盛り返し、ようやく賊を追討することが出来た。頼義、義家父子は戦勝を感謝し、康平7年(1064、この地にこの八幡神社を建立したとされる。

その後この竹貫郷は、福田三郎広成が領し、竹貫氏を称した。竹貫氏は代々、隠居入道して修験となり、源頼義建立の八幡社を守護し、古き殿の居舘の故に、地名を古殿と称した。

建久年中(1190~95)、鎌倉の源頼朝より、竹貫の領主に永楽銭五貫文の社領地が下賜され、時の領主がこれを記念して、領内の兵達により、流鏑馬、笠懸を神事として奉納するようになった。

竹貫氏が代々別当を勤めていたが、岩城氏に従っており、岩城常隆が富岡に移ると、竹貫氏もそれに従った。それ以降は大関氏や太田原氏の庇護を受け、寛永年中(1624~44)にこの地の領主となった棚倉藩主内藤豊前守の庇護を受け、寛永6年(1629)には荒廃していた社殿が造営され、祭礼も旧来の通り行われるようになった。